松山地方裁判所 昭和62年(ワ)481号 判決 1993年12月08日
原告
宮崎祐一
右訴訟代理人弁護士
曽我部吉正
被告
松山市
右代表者市長
田中誠一
右訴訟代理人弁護士
木下常雄
主文
一 被告は、原告に対し、金一八九二万一五四七円及びこれに対する昭和六一年一〇月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用は、これを五分し、その一を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。
四 この判決は、原告勝訴部分に限り、仮に執行することができる。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告は、原告に対し、金四八七三万二四九二円及びこれに対する昭和六一年一〇月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
第二 当事者の主張
一 請求原因
1 当事者等
(一) 原告は、昭和四六年七月四日生まれの男子であり、昭和六一年九月三〇日当時、松山市立興居島中学校の三年生であった。
(二) 同中学校の教諭野本拓史(以下「野本教諭」という。)は、興居島中学校三年生の体育の授業を担当していた。
2 本件事故の発生
原告は、昭和六一年九月三〇日、授業(体育)で、野本教諭の指導の下、興居島中学校柔剣道場において、柔道を学んでいたが、同教諭の指示により生徒の福島剛(以下「福島」という。)に大内刈りを掛けられたところ、受け身に失敗して後頭部を強く打ち、授業終了後、柔剣道場を出たときから吐き気を覚え、意識不明となったため、特別便の船と救急車で奥島病院に搬送され、更に愛媛大学付属病院へ回送された。
3 野本教諭の過失
(一) 興居島中学校三年生は、一週間に三時間の体育授業を受けており(選択で体育をとれば更に一時間授業時間が増えるが、原告は音楽を選択していた。)、同中学校では、昭和六〇年四月一八日の柔剣道場の新築に伴い、体育実技に柔道を採用した。柔道の担当教諭は野本教諭であり、二〇名の男子生徒に対して行われていた。
(二) 第一回目の授業(昭和六一年九月二七日四時間目)
生徒は、プリント(柔道着の着方、技、受け身等の記載してあるもの)の配付及びそれに基づく説明の後、約一〇分間、柔道の素質があるということで、同年六月一三日に開催された松山市総合体育大会に興居島中学校代表選手として出場するため特訓を受け、以来、柔道を課外授業として習っていた福島の真似をして受け身の練習をした。授業終了後、野本教諭は、原告に柔道着を着せ、福島に指示して原告を二回投げさせた。原告は、一回目に投げられたとき、後頭部を打った。
(三) 第二回目の授業(同年九月二八日四時間目)
生徒は、軽い準備体操の後、受け身の練習を約二〇分間行った。福島がするのを皆で真似るもので、野本教諭の説明を受けながら、笛の合図に従って受け身の練習をした後、野本教諭の前で受け身をして、それができるかどうか試された。
(四) 第三回目の授業(同年九月三〇日三時間目)
生徒は、準備体操後、受け身の練習をした。野本教諭は、授業終了の一〇分位前に原告を含む五人の生徒を選んで前に並ばせ、受け身ができるかどうかを試すため、福島に命じて、生徒一人一人を相手に大内刈りを掛けさせたところ、五人全員が痛い痛いと言っているにもかかわらず、福島に対し、「死にやせんけん。投げ。投げ。」と言って、その後も二回にわたって投げさせた。原告は、大内刈りを三度掛けられたが、いずれも受け身に失敗し、特に二回目に投げられた時には、後頭部を強く打ち、かなりの痛みを感じ、授業終了後、意識不明となり、その結果、本件事故が発生した。
(五) 正課授業中の事故につき、それが安全義務違反・過失による事故であったかどうかの判断は、抽象的には、事故が起きた具体的状況のもとで、その事故原因について予見できたかどうか、事故回避のために適切な措置がとられていたかどうかについて検討して判断されることになる。したがって、その正課授業に内在する危険から通常予測される事故に対し、その発生を予防するための最大の努力がなされることが必要である。そして、その授業に内在する危険が高ければ高いだけ、事故防止のための最高度の安全義務が要求される。また、正課授業では、生徒は、直接教師の強制的指導に服している関係にあるから、その指導上のミスについては、当然にその責を問われる。正課授業は、学校の教育活動の中心をなすものであり、この間、生徒は教師の指導監督下に身を置いている。そして、生徒は学校の実施する授業計画に従って、言わば強制的に授業を受けることになるのであるから、これを実施する教師等は、正課授業中に、生徒の身に生じうる危険を予見し、これを回避するため適切な措置をとるべき注意義務を負っており、その注意義務の程度も課外活動等の任意の活動における場合と比べてより高度なものが要求される。
野本教諭は、興居島中学校の柔道の担当教師として、原告らに柔道の指導をしていた者であるが、柔道の練習は、一般的に生命・身体に対する危険発生の蓋然性を内在するものであるから、柔道の練習における安全確保のため、各生徒の技能を正確に把握し、その者の力量に応じた練習を指導する注意義務があるというべきである。殊に、大内刈りは、相手を真後ろ又は右(左)後ろ隅に崩し、両手で相手を倒すとともに、相手の体重の乗っている左(右)脚を右(左)脚で内側から大きく刈り上げる技で、この両手の押しの働きと脚で刈り上げる働きが偶力となって作用し、相手は後方に強く倒れるため、受け身の難しい技である。したがって、体育の技能の劣る原告が、柔道の授業をわずか二時間しか受けていないため、受け身を十分に習得していない上、後ろ受け身をほとんど練習していない段階にあり、しかも、受け身の失敗で頭痛を訴えていたのであるから、野本教諭としては、原告に対し大内刈りを掛けることは差し控えるべき注意義務がある。それにもかかわらず、野本教諭は、生徒の一人である福島に命じ、受け身の難しい大内刈りを掛けて原告を投げさせ、右注意義務を怠ったため、本件事故が発生した。
4 被告の責任
(一) 国家賠償法一条
本件事故は、前記のとおり、被告の公権力の行使にあたる公務員である野本教諭が、その職務を行うについての過失により発生したものであるから、被告には国家賠償法一条による責任がある。
(二) 債務不履行(安全配慮義務違反)
公共団体である被告は、公立中学校を設置し、これに生徒を入学せしめることにより、教育法規に則り、生徒に対し、施設や設備を供し、教諭をして所定の課程の教育を施す義務を負い、生徒又は保護者は、子女を中学校に就学させる等の義務を負うことにより、特別な社会的接触の関係に入ったというべきであり、公共団体は、信義則上その関係に当然に内在する付随的義務として生徒に対し安全配慮義務を負う。また、公立中学校への就学は、行政処分であるから、この行政処分により発生する在学関係における管理者の生徒に対する義務としても、安全配慮義務が発生する。
被告(その履行補助者である野本教諭)は、右安全配慮義務に違反し、本件事故を惹起せしめた。
5 原告の本件受傷に対する治療経過等
(一) 原告は、本件事故が発生した昭和六一年九月三〇日、愛媛大学医学部付属病院において、急性硬膜下血腫と診断され、約六時間にわたり、長径約二〇センチメートルの楕円形に頭蓋骨を切除し、血腫を除去し、外減圧術を施行する手術を受け、同日夜、意識を回復した。
(二) 原告は、同年一〇月三〇日、同病院において、二回目の手術(頭蓋骨形成術施行)を受け、同年一一月一二日、同病院を退院し、同年一二月三日から学校に出席するようになり、昭和六二年四月、健康を考慮し、私立城南高校に進学した。退院後も、毎月一回通院し、抗痙攣剤の投与を受けていた。
(三) 原告は、本件事故後、左眼の視力が0.9から0.4に低下し、現在でも時々、頭が痛む。また、手術後も、頭蓋骨が癒着せず鋼線で止めているため、日常生活においては、頭に衝撃が加えられないように注意しなければならない。また、運動は、当初ラジオ体操が許され、昭和六二年八月ころからジョギング程度のものが許されたが、サッカー、ラグビー、鉄棒、野球その他の運動は一切できない。
6 原告の損害
(一) 逸失利益
金三四二八万二九九九円
原告には後遺症が残ったが、これは少なくとも自動車損害賠償保障法施行令後遺障害別等級表第九級の「神経系統の機能又は精神に障害を残し、服することができる労務が相当な程度に制限されるもの」に該当し、これによる労働能力喪失率は三五パーセントである。
原告は、本件事故当時、一五歳の健康な男子であったので、その逸失利益は、昭和六一年度賃金センサス第一巻第一表の産業計・企業規模計・学歴計・男子労働者の平均賃金である年間金四三四万七六〇〇円を基準として、新ホフマン式により中間利息を控除して算出すると金三四二八万二九九九円になる。
4,347,600×0.35×(25.261−2.731)
=34,282,999)
(二) 慰謝料 金一〇〇〇万円
原告は、本件事故により、左記のとおり精神的・肉体的被害を受けた。
① 四四日間の入院
② 退院後も月一回の通院を余儀なくされたこと
③ 抗痙攣剤の服用
④ 頭部傷跡の醜状(結婚、就職等に及ぼす不利益)
⑤ 生涯にわたる頭蓋骨欠損からくる不安・不便
⑥ 年老いた際の症状の再発の不安
⑦ 左眼視力の低下
⑧ 六四日間にわたる休学、再出席後の早引き等
⑨ 進学志望高校が制限されたこと
⑩ 就職の制限、スポーツの制限
原告の右精神的・肉体的苦痛を慰謝するには、少なくとも金一〇〇〇万円(入通院慰謝料金二〇〇万円及びその他の諸被害に対する慰謝料金八〇〇万円)を必要とする。
(三) 入院雑費 金八万八〇〇〇円
原告は四四日間入院し、その間、日用雑貨費、家族通院交通費等の入院雑費用を要したが、右は入院の突然性、症状の深刻さ、入院期間の短さ、家族通院交通費の金額(往復一回金一六〇〇円を超える。)等よりして、一日当たり金二〇〇〇円とするのが相当である。
2,000×44=88,000
(四) 通院費 金一二万一四九三円
原告は、前記病院を退院後、五年間にわたり毎月一回通院が必要なところ、一回の通院につき、左記のとおり金二三二〇円を必要とする。
① 付添いの保護者費用(片道)
定期便船代金一八〇円及び高浜から愛媛大学医学部までのバス代金六五〇円の合計八三〇円
② 原告の費用(片道)
福音寺駅(城南高校所在地)より右医学部までのバス代金三三〇円
そうすると、年間通院費は金二万七八四〇円であるから、五年間の交通費総額は、新ホフマン式により中間利息を控除して算出すると金一二万一四九三円になる。
27,840×4.364=121,493
(五) 弁護士費用 金四六〇万円
原告は、昭和六二年八月二九日、原告代理人に対し、本件訴訟を委任し、着手金二〇万円及び成功謝金四四〇万円(訴額又は判決認容額の一割)を支払うことを約した。
(六) 損害の填補 金三六万円
原告は、興居島中学校長玉井是治より見舞金一三万円、野本教諭より見舞金八万円、同中学校職員一同より金一〇万円及び同中学校職員一同・共同調理場より金五万円の合計金三六万円の支払を受けた。
(七) 以上合計
金四八七三万二四九二円
7 よって、原告は、被告に対し、国家賠償法一条もしくは債務不履行に基づく損害賠償金として金四八七三万二四九二円及びこれに対する不法行為の日の後である昭和六一年一〇月一日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1の事実は認める。
2 請求原因2の事実のうち、原告が、昭和六一年九月三〇日、授業(体育)で、野本教諭の指導の下、興居島中学校柔剣道場において、柔道を学んでいた際、同教諭の指示により福島に大内刈りを掛けられて受け身を失敗し、授業終了後に、意識不明となったため、特別便の船と救急車で奥島病院に搬送され、更に愛媛大学医学部付属病院へ回送されたことは認めるが、その余は否認する。
3(一) 請求原因3(一)の事実は認める。
(二) 請求原因3(二)の事実のうち、生徒が、昭和六一年九月二七日の体育の授業において、プリント(柔道着の着方、技、受け身等の記載してあるもの)の配付及びそれに基づく説明の後、柔道の素質があるということで、同年六月一三日に開催された松山市総合体育大会に興居島中学代表選手として出場するため特訓を受け、以来、柔道を課外活動として習っていた福島の真似をして受け身の練習をしたこと、原告が柔道着を着たことは認める。その余の事実は否認する。
柔道の第一回目の授業は、同年九月二五日、柔道への不安感・痛さを取り除く目的でマット運動の形式で行われており、第二回目が同月二七日の一時間目であり、受け身の練習を二〇分程行った。野本教諭は、福島に命じ、原告を相手に組手及び引きつけの仕方をさせたが、原告を投げさせるようなことはなかった。そして、生徒が二人一組で、中腰及び立位からの後方受け身の練習を行い、途中で、生徒に対し、投げる場合を想定して、「投げる場合は袖を引っ張って、頭を打たないように補助してやれ、危ないから。」と注意したことがあったが、原告が頭を打ったかどうかは目撃していない。
(三) 請求原因3(三)の事実のうち、体育の授業において、軽い準備体操をした後、福島がするのを皆で真似て受け身の練習を約二〇分間行ったこと、野本教諭の説明を受け、笛の合図に従って受け身の練習をした後、野本教諭の前で受け身をし、それができているかどうか試されたことは認める。
右体育の授業は第三回目で、同月二九日の五時間目であった。野本教諭は、生徒に対し、顎を引いて頭を打たないこと、しっかり手で畳を叩くこと、足を伸ばすこと、体を丸めて転がること等の指導をした。
(四) 請求原因3(四)の事実のうち、同月三〇日の体育の授業において、準備体操後、受け身の練習をしたこと、野本教諭が、授業終了前に原告を含む生徒を前に並ばせ、生徒の福島に命じて、生徒一人一人を相手に技を掛けさせて受け身ができるかどうか試したこと、原告が、福島に第一回目に大内刈りを掛けられたとき受け身を失敗したことは認めるが、その余の事実は否認する。
当日の体育の授業は、第四回目であり、三時間目ではなく二時間目であった。野本教諭が前に並ばせた生徒は六人であり、それは授業終了二〇分程前のことであった。原告は、投げられたのではなく、後方受け身の練習をしたものであり、第二回目に、尻から落ち、肩をつき、首ががくんとなった。野本教諭は、原告が二回目で頭を打ったため休ませ、三回目の受け身を行わせていないし、福島に対し、「大きくきれいに掛けよ。中途半端だとかえって怪我するぞ、受け身をする者は踏ん張らずにそのまま受け身をし、その時は左足を上げて倒れなさい。」と指導したが、「死にやせんけん。投げ。投げ。」などと言った覚えはない。
(五) 請求原因3(五)は争う。
4 請求原因4は争う。
5 請求原因5の事実は知らない。
6 請求原因6の事実のうち、(六)は認めるが、その余は争う。
第三 証拠<省略>
理由
一請求原因1(当事者等)の事実、同2(本件事故の発生)の事実のうち、原告が、昭和六一年九月三〇日、授業(体育)で、野本教諭の指導の下、興居島中学校柔剣道場において、柔道を学んでいた際、同教諭の指示により福島に大内刈りを掛けられて受け身を失敗し、授業終了後、意識不明となったため、特別便の船と救急車で奥島病院に搬送され、更に愛媛大学医学部付属病院へ回送されたことは当事者間に争いがない。
二本件事故発生までの経緯及びその状況
1 請求原因3(一)の事実は当事者間に争いがない。
2 <書証番号略>、証人野本拓史の証言及び原告本人尋問の結果によれば、野本教諭は、日本体育大学武道学科に入ってから柔道を習い始め、現在柔道二段であるが、卒業後授業として柔道を教えるのは今回が初めてであったこと、福島は、本件事故当時、松山市立興居島中学校の柔道部に所属し、一級位の実力を持っていたのに対し、原告は、それまで柔道の経験はなく、運動が不得手で運動能力も劣っていたこと、野本教諭は、原告ら三年生の体育の授業を一学期から担当し、通知簿では、原告の一学期の体育の成績については「2」と評価し、各種の運動技能を正しく身に付けているという欄には「×」を付けており、原告が他の生徒より運動能力が劣っていることを十分知っていたことが認められる。
3 第一回目の授業(昭和六一年九月二五日)
証人野本拓史の証言及びこれにより真正に成立したと認められる<書証番号略>によれば、第一回目の授業は、同年九月二五日の四時間目に実施され、柔道への不安感・痛さを取り除くこと及び上手に転べば痛くないということを生徒に知ってもらう目的で、体育館でマット運動及び跳び箱を利用した飛込み前転の練習を行ったこと、野本教諭は、右マット運動の際には柔道をするためにしている旨を生徒には告げておらず、授業終了の際、次回から柔道の授業をする旨告げたことが認められる。
4 第二回目の授業(同年九月二七日)
同日の体育の授業において、プリント(柔道着の着方、技、受け身等の記載してあるもの)の配付及びそれに基づく説明の後、柔道部員で同年六月一三日に開催された松山市総合体育大会に興居島中学校代表選手として出場したことがある福島の真似をして受け身の練習をしたこと、原告が柔道着を着たことは当事者間に争いがない。
そして、右争いのない事実に<書証番号略>、証人野本拓史の証言及び原告本人尋問の結果(一部)を総合すると、第二回目の体育の授業は、同年九月二七日の一時間目に行われ、野本教諭は、プリント(柔道着の着方、技、受け身等の記載してあるもの)を配付し、それに基づき説明をした後、六人ずつ三つのグループに分け、自らあるいは福島が模範を示した上、生徒に対し、仰臥、長座、中腰及び立姿からの後ろ受け身、横受け身、前受け身、前回り受け身の練習をさせたこと、受け身の練習は二〇分程であったことが認められる。原告は、同日の授業終了後技を掛けられたと主張し、その本人尋問においても、同旨の供述をするが、証人野本拓史の証言と対比して措信できず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。
5 第三回目の授業(同年九月二九日)
生徒が、体育の授業において、軽い準備体操の後、福島がするのを真似て受け身の練習を約二〇分間行ったこと、野本教諭の説明を受け、笛の合図に従って受け身の練習をしたこと、野本教諭が受け身ができるかどうか試したことは当事者間に争いがない。
そして、<書証番号略>、証人野本拓史の証言及び原告本人尋問の結果を総合すると、右体育の授業は、同年九月二九日の五時間目であったこと、野本教諭は、生徒に対し、前回り受け身ができるかどうか一人一人試し、不合格者には不備な点を指導したこと、原告は一、二度失敗したものの、一応合格したことが認められ、これを覆すに足りる証拠はない。
6 第四回目の授業(同年九月三〇日)
生徒が、同日の体育の授業において、準備体操の後、受け身の練習をしたこと、野本教諭が、原告を含む生徒を前に並ばせ、生徒の福島に命じ、生徒一人一人を相手に大内刈りを掛けさせて受け身ができるかどうかを試したこと、原告が、第一回目に大内刈りを掛けられた際受け身を失敗したこと、原告が、授業終了後、意識不明となったことは当事者間に争いがない。
そして、右争いのない事実に<書証番号略>、証人野本拓史の証言及び原告本人尋問の結果(各一部)を総合すると、同日の体育の授業は二時間目であり、プリント(柔道の歴史、技能構造等を記載したもの)を配付して説明等をした後、一〇人ずつで前回りの受け身を中心にして受け身の練習をし、さらに二人一組となって投げ技の基本となる体くずしの練習をしたこと、その後、野本教諭は、実践的な受け身を身に付けさせるため、生徒の中から原告を含む生徒六人を選んで前に並ばせ、福島に命じて、生徒六人に順番に大内刈りを掛けさせて後ろ受け身の練習をさせたこと、大内刈りは、相手を左(右)後ろ隅又は真後ろに崩し、自分の体を半身にし相手の体重の乗っている足を内側から刈り払って相手を仰向けに後方に押し倒す技であり、これに対する受け身は初心者にとっては必ずしも容易ではなく、受け身をしっかりと行わなければ頭を打つ危険性があるため、初心者に対し教授するには適当でない技とされ、学校の授業では、その総時間数も限られているため、生徒に教える技としては、受け身のしやすい膝車、大腰、かかえ体落とし等が適当であるとされていること、原告を含む生徒六人は、福島に一回目の大内刈りを掛けられた際、いずれも受け身を失敗して痛がっていたこと、野本教諭は、生徒の受け身の仕方が下手であったので、二回目の技を掛けることを命じる前に、福島に対し、「大きくきれいに掛けよ。中途半端だとかえって怪我するぞ。」、「まだ受け身の不十分な生徒もいるから、相手の右袖を軽く持っておいてやれ。」などと指導し、さらに、生徒にも「踏ん張ってはいかん。」と注意したこと、原告は、福島から二回目に大内刈りを掛けられたとき、後ろに腰から倒れ、その際、倒れた反動で後頭部を打ったことが認められる。
原告は、福島に大外刈りを三回掛けられ、二回目に投げられたときには頭から直接落ちたこと、更にもう一回(三回目)投げられたと供述するが、原告は、掛けられた技が大内刈りであったのに大外刈りであったと供述するなど必ずしも当時の状況を正確に記憶していないと考えられ、右供述はにわかに措信することができない。また、野本教諭は、大内刈りが受け身のしやすい技である旨証言するが、技の性質等からみて、受け身がしやすい技とはいえないと考えられるから、右証言は採用できず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。
三野本教諭の過失
1 正課授業は、学校の教育活動の中心をなすものであり、しかも、生徒は、直接教師の指導に拘束される関係にあるから、これを実施する教師は、正課授業中に、生徒の身に生じうる危険を予見し、これを回避するため適切な措置をとるべき注意義務を負っており、その注意義務の程度も課外活動等の任意の活動における場合と比べてより高度なものが要求される。そして、柔道はいわゆる武道であって、常に生徒の身体に傷害等が生ずる危険を孕んでいるから、それを正課授業として実施する場合、教師としては、右危険を避けるべく、その授業内容が安全であるかどうかを検討することはもとより、実施に当たっても、危険のないよう適切に指導し、かつ、生徒に実施させるときは細心の注意を払って生徒の身体の安全に対し十分な配慮を行うべきである。
したがって、野本教諭は、本件事故当時、興居島中学校の柔道の担当教師として、原告ら男子生徒に柔道の指導をしていた立場にあることから、それまでに柔道の経験のない原告を指導するに当たっては、原告の体力及び運動能力、受け身の習得程度等を十分確認し、これを把握した上で、それに応じた練習方法を選択し、かつ、原告に実施させるときは細心の注意を払ってその安全に配慮すべき注意義務があるというべきである。
2 右見地に基づき、野本教諭の過失の存否について判断する。
前記認定の事実によれば、野本教諭としては、原告の体力及び運動能力が一般の生徒に比し劣っている上、原告がそれまでに柔道の経験がなく、受け身の練習をしたとはいえ、その練習時間も少なく、しかも、技を掛けて受け身をした経験がないため、技に対応して受け身をすることについては未熟であることを認識しており、現に、原告を含め生徒六人が福島に一回目に大内刈りを掛けられたときには上手に受け身をすることができなかったことを十分に分かっていたのであるから、原告に対しては受け身のしやすい大腰等の技を掛けて受け身の練習を行わせるべきであり、また、技を掛けて受け身の練習を行わせるときには、柔道の指導方法を学んでいた野本教諭が自ら技を掛けるべきであった。ところが、野本教諭は、少し柔道の心得のあるとはいえ、同じ三年生の福島に命じて、初心者にとっては受け身が必ずしも容易ではなく、受け身をしっかりと行わなければ頭部を打つ危険性を内在する大内刈りを掛けさせて受け身の練習を行わせ、技を掛けられた生徒全員が受け身に失敗していることを知りながら、福島に対して、「中途半端に技を掛けるな。」、「まだ受け身の不十分な生徒もいるから、相手の右袖を軽く持っておいてやれ。」と指示し、原告らに対しては「踏ん張ってはいかん。」と指示しただけで、原告ら生徒に二回目も同じ技を掛けさせたため、原告が受け身を失敗し、本件事故が発生したものである。したがって、野本教諭には、初心者の原告に受け身の練習をさせるに当たり、初心者にとっては受け身が必ずしも容易ではなく、受け身をしっかりと行わなければ頭部を打つ危険性を内在する大内刈りを掛けさせるのは適切ではなく、これを選択したこと自体に誤りがあるだけでなく、自ら技を掛けず、少し柔道の心得がある福島に大内刈りを掛けさせた点についても、前記注意義務に違反しており、野本教諭には、本件事故発生について過失があるというべきである。
四被告の責任
国家賠償法一条にいう公権力の行使には、国又は地方公共団体による権力作用に加えて、純然たる私経済作用と公の営造物設置管理作用を除く非権力作用をも含まれると解するのが相当であるから、公立学校における教師の教育活動は公権力の行使に該当すると解すべきである。
被告が興居島中学校を設置してこれを管理運営し、同中学校における教育作用が被告の教育行政の一環として行われていることは当裁判所に明らかである。そして、興居島中学校の教師として、体育実技(柔道)の授業を担当していた野本教諭は、地方公共団体の公権力の行使にあたる公務員であり、本件事故は、体育実技の授業中、野本教諭の指示による受け身の練習の際に、前記のような野本教諭の過失により発生したものであるから、被告は、国家賠償法一条に基づき、原告の被った損害を賠償すべき義務がある。
五原告の本件受傷に対する治療経過等
<書証番号略>、証人大上史朗及び同矢野正仁の各証言並びに原告本人尋問の結果によれば、次の事実が認められ、これを覆すに足りる証拠はない。
1 原告は、本件事故発生の昭和六一年九月三〇日、愛媛大学医学部付属病院において、急性硬膜下血腫と診断され、長径約二〇センチメートルの楕円形に頭蓋骨を切除して血腫を除去し、外減圧術施行の手術を受けたところ、同日夜、意識を回復したが、左上肢の軽度の麻痺及び左手の握力の低下に加えて、左眼が複視状態になった。
2 原告は、同年一〇月三〇日、切除した頭蓋骨を鋼線で結んで固定するために、二回目の頭部手術(頭蓋骨形成術施行)を受け、同年一一月一二日、同病院を退院した。
3 原告は、退院してから昭和六三年二月まで、毎月一回、右病院に通院し、同年三月から平成元年三月二七日まで、南松山病院に通院し、抗痙攣剤を服用していた。
4 原告は、退院後の昭和六一年一二月三日から興居島中学校に通学するようになったところ、本件事故以前は新田高校あるいは県立高校に進学する希望を持っていたが、本件事故により学校を休業したこと及びその後も体調が優れなかったため、志望校を変更せざるを得なくなり、結局、昭和六二年四月に私立城南高校に進学し、卒業後の平成二年四月から松山コンピューター専門学校に通学して平成四年三月卒業し、同年四月に千葉県我孫子市にある日本システムウェア株式会社に就職した。
5 原告の後遺症
本件事故により、原告には、次のとおり後遺障害が残存している。
(一) 原告は、本件事故直後、左上肢に軽度の麻痺が生じ、現在も、左手の肘付近にしびれが生じることがある。
(二) 昭和六三年八月二日施行の頭部CT検査の結果では軽度の脳萎縮が認められ、将来脳損傷による痙攣発生の可能性は完全には否定できない状況にある。
(三) 現在、普通の日常生活を一応送っているが、頭蓋骨形成術施行のため、頭に強い衝撃を加えることがないようにしなければならず、日常生活が制約されている。
(四) 原告の左眼の視力は、本件事故前は少なくとも0.5程度はあったが、本件事故後の昭和六一年一〇月九日に0.2に低下し、その後も低下し、現在、使用している眼鏡を外すと左眼が見えないくらいになっている(脳損傷は右側部分に生じており、左眼の視力低下は脳損傷の影響と認めることに矛盾はない。)。
(五) 易疲労感のため夜勤ができない。
六原告の損害
1 逸失利益
金七一六万五六二七円
原告が、本件事故当時、一五歳の健康な男子であったが、前記認定のとおり、本件事故により、左眼の視力が0.2程度に低下し、現時点においてもその視力が回復していないこと、原告には、本件事故のため、現在も左手の肘付近にしびれが生じることがあること、原告には、軽度の脳萎縮が認められること、本件事故の脳損傷の影響により将来痙攣の発生の可能性を完全には否定できない状況にあること、日常生活の上では一応普通の生活をしているが、頭に強い衝撃を加えるようなことがないよう注意しながら生活しなければならないこと、易疲労感のため夜勤ができないことなどから、将来、昇格、昇任、転職等に際して不利益な取扱いを受けるおそれがあることなどを考慮すると、控え目にみても、原告の労働能力喪失率は一〇パーセントと認めるのが相当である。
なお、原告は、自動車損害賠償法施行令後遺障害別等級表第九級の「神経系統の機能又は精神に障害を残し、服することができる労務が相当な程度に制限されるもの」に該当する後遺障害があると主張するが、これを認めるに足りる証拠はなく、かえって、証人大上史朗及び同矢野正仁の各証言によれば、原告に右のような後遺障害はないと認めることができる。
そして、前記のとおり、原告は、平成四年四月に日本システムウェア株式会社に就職しているので、原告が実際に就職した年である平成四年度賃金センサス第一巻第一表の産業計・企業規模計・男子労働者の高専・短大卒者の二〇歳ないし二四歳の年収額金三〇〇万六七〇〇円(きまって支給する現金給与額が月額金二一万一〇〇〇円、年間賞与その他特別給与額が金四七万四七〇〇円)を基礎として、稼働可能な二〇歳から六七歳までの四七年間の原告の逸失利益の現価額を新ホフマン方式により中間利息を控除して算出すると、次のとおり金七一六万五六二七円(円未満切捨て)となる。
3,006,700×0.1×23.8322
=7,165,627
2 慰謝料 金一〇〇〇万円
前記認定のとおり、原告は、昭和六一年九月三〇日及び同年一〇月三〇日の二度にわたって頭部の手術を受けたこと、同年一一月一二日に愛媛大学医学部付属病院を退院してから平成元年三月二七日まで約二年四か月間通院したこと、本件事故後、二か月間休学したことなどから、勉強が遅れ、希望していた高校への進学を断念せざるを得なかったこと、本件事故により受傷した頭部の治療の必要がなくなり、一応就職しているが、原告の現在の仕事及び将来の転職について不利益な取扱いを受けるおそれがあること、原告は、血腫を除くため切除した頭蓋骨の一部を鋼線で固定していることから、万一原告の頭部に強い衝撃が加わった場合には、一般人に比し傷害が発生しやすいし、実際にも、心理的な抑制効果が働くため、日常生活上の制約がいろいろ考えられること、本件事故による将来の労働能力喪失の割合を現在の状況のみで判断せざるを得ず、右のような将来生ずる可能性を斟酌するのに限界があるため、前記逸失利益の算定に当たっては、控え目に認定せざるを得なかったことなどを総合的に考慮すると、原告に対する慰謝料としては、金一〇〇〇万円が相当である。
3 入院雑費 金五万七二〇〇円
原告が愛媛大学医学部付属病院に入院していた期間は、前記認定のとおり昭和六一年九月三〇日から同年一一月一二日までの四四日間であり、右入院雑費は、一日当たり金一三〇〇円が相当と認められるので、その合計は金五万七二〇〇円となる。
4 通院交通費 金五万八七二〇円
証人宮崎静江の証言及び<書証番号略>によれば、原告及び付添保護者が愛媛大学医学部付属病院及び南松山病院に通院していた際の通院交通費は合計金五万八七二〇円であると認められる。
5 損害の一部填補 金三六万円
原告が、本件事故により、玉井是治校長より見舞金一三万円、野本教諭より見舞金八万円、興居島中学校職員一同より金一〇万円及び同中学校職員一同・共同調理場より金五万円の合計金三六万円の支払を受けたことは、当事者間に争いがない。
6 弁護士費用 金二〇〇万円
以上、原告の損害額1ないし4の合計金一七二八万一五四七円から5の填補金員を控除すると、残額は一六九二万一五四七円となるところ、原告が本件訴訟の遂行を原告代理人弁護士に依頼したことは記録上明らかであり、本件訴訟の性質、態様、期間、未払損害額等を考慮すると、本件事故による弁護士費用としては、金二〇〇万円が相当である。
7 合計 金一八九二万一五四七円
七結論
以上によれば、原告の本訴請求は、金一八九二万一五四七円及びこれに対する本件事故発生日以後である昭和六一年一〇月一日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があるからこれを認容し、その余は理由がないのでこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官打越康雄 裁判官廣永伸行 裁判官任介辰哉)